こじらせ文科系の雑記帳

それっぽいことを書くけど、全部ウソです。

鑑賞ではなく、体験。そして自分の物語に。【「カメラを止めるな!」】

この記事ではネタバレをしません。

 

カメラを止めるな!」を見てきた。

 

とても話題になっている映画である。

news.yahoo.co.jp

yahoo!のトピックにもなっていれば、有名人のtweetも多い。

 

なぜ、こんなに盛り上がっているのだろうか。

やや斜に構えた気持ちとともに、夕方のシネマ・ロサに足を運んだ。

 

端的にいうと、「カメラを止めるな!」は鑑賞にとどまらず、体験だと思った。

とても、面白かった。

グイグイ引き込まれる感覚だった。

映画のキャッチフレーズである、「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」この言葉が脳内でリフレインする。

指原の、「内容とか調べずに。」。「そりゃそうだよな」とひとりごちる。

 

この映画には名の売れた俳優は出演していない。

だからこそ、キャラクターに偏見を持たずに物語に入っていける。

そして、非常に、一人一人の登場人物に人間味があり、キャラが立っている。

だからこそ、自分を投影できる。

 

物語に没入していく自分を感じる。

節々に愛のあるユーモアが顔をのぞかせる。

同じところでクスクス反応している周りのお客さんに気づく。

そうか、映画はみんなで見るものなのだ、という感覚に浸る。

見終わった後に、誰かに感想を伝えたくなる。いや、感想ですらない。「すごかったよね!」その気持ちを共有したくなるのだ。

そんなことを思っていたら、サプライズの舞台挨拶。

そんなの、好きになるに決まっているじゃないですか。

 

以下、少しだけ興を削ぐことを書くので、未見の方がもしいればご覧いただかないほうがいいかもしれない。

この映画は、監督や俳優を養成する専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップを通して作られた作品とのこと。

この段になって、「これは応援せねばならない」という気持ちになる。

カメラを止めるな!」という壮大なワークショップを世に出したいと、なぜか自分ごとにしてしまうのだ。

 

それは、幾多の有名人とともに「『カメラを止めるな!』を見たぜ」と喧伝したい気持ちもあるだろう。

ただ、それ以上に人は伝説の証人になりたいのだ。

無名の存在が巻き起こすアメリカン・ドリームを目撃したいのだ。

だから私たちはSNSでシェアをするし、人に薦めるし、語ってしまう。

なぜなら、我々は「カメラを止めるな!」を自分の物語にしてしまっているかだ。

 

そう、「カメラを止めるな!」は、映画が上映されているだけの時間だけに物語が紡がれているわけではない。
ひとりの観客ではなく、自分が物語の参加者になれる。

この映画の成り立ち(クラウドファンディングもしていたようだ)も、無名の俳優たちも、この映画の構成要素の一つ一つが我々を搦めとる。

そして、思うのだ。「自分をこの映画の物語に生きさせてほしい」と。

 

この作品の紡ぐ物語は、この作品のヒットだけでは止まらないだろう。

なぜなら、この作品を見て、表現の道を志す人間が生まれるからだ。

そして、さらに多くの物語の起点に、「カメラを止めるな!」がある。

そんな作品なのではないかと思う。

(何を隠そう、ブログを始めるに至ったのも、この作品を見たことによる初期衝動だ。)

 

とても新しい体験をさせてもらった。

また劇場に足を運ぼう。生き返り割りで。